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「超能力」の可能性 序

2009年01月11日 02:56

「超能力があるかないかの論争が繰り返されるだけで、結局何も変わらない。」

スプーン曲げ少年として一時期メディアに取り上げられていた清田君という人物、彼をメインテーマとしたドキュメンタリー映画「職業欄はエスパー」と同名のルポルタージュ(角川文庫: 森達也)を見て(読んで)以来、「超能力」というものの存在に、私はとても魅力を感じている。
誤解を生む表現だが、「超能力」の可能性を信じていさえする。

何も誰もが潜在能力を活性化させれば、テレパシーが出来るはずで、それによって携帯がいらなくなって便利だね、しかし「サトラレ」的な問題やエックスメン対人間の構造が出来てややこしいねという話がしたいわけではない。ただ単純に「超能力」という社会にとっての異物(精神病も同様)を見つめることによって、何らかの意識されない社会構造?人間という存在?のような、もやもやっとしたものを、手に触れるきっかけにはなるのではないかと思っている。

出口は見えない。あるかどうかすらわからない。
しかし気付いたら入り口に立っていた。

まずは歴史的な事から調べてみようか。
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