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ずっと途中

2009年03月18日 22:29

ブログリニューアルのまず一発目としてブログのタイトル変えました。
「ずっと途中」です。意味は今やっていることはまだ途中なんですよ、って言っておけば、完成を保留に出来るからです。そもそも完成に興味ないのは、昔からの悪い癖でして、良くて8割、悪くて5割ぐらいの途中のままアウトプットしてしまえれば、そこからなんか生まれるんではなかろうかという期待を常に持っているからです。自分の望むように完成させるのではなく、自分が想像も出来なかったものを自分でも見たいんでしょうね。だから現在の文章も半分自動筆記見たいに書いています。結論はいつも先送り。だから私は、他人と何かやることに非常に興味がある。自分自身に興味が無いし(自分は人間関係の中から、結果的に決まります。)、動機も無いから、他人の欲望に自分がどう関わるかをいつも考えている。企画画廊をやるのも、自分の好きな作家が、何をモチベーションにして、どこに向かおうとしているか知りたいからで、知ったら、自分はどのようにそこに関わっていけるかを考える。でもその為には自分のスキルなり、立場なりを明確にしておく必要があります。それはほんとわかりやすければ分かりやすいほど良いでしょう。金持ってるとか、ギャラリー持ってるとか、文章かけるとか、かっこいいとか。人間対人間の場合、いかにして相手を利用するかというのが基本的な関わり方だと思います。(根暗)。誤解されたくないので、少し説明しますけど、これはネガティブな意味で使っているわけではなくて、私はそうであるならそうであるだけで、プラスでもマイナスでもないと思っています。「人は死ぬんだ」これが事実なら、肯定も否定も出来ないでしょう。事実は事実。そこにどう向き合うか、という態度がネガティブかどうかを決めるのだと思います。だから、いかにして相手を利用するか、というのが私の人間観だとして、その上にどんな関係を築くかというのが重要ですね。私は、「だからこそ」あるいは「けれども」、お互いを利用して面白いことするんだ、と思っています。ビジネス風に言うとwin-win(両者とも勝つ)の関係。

で、今これから、私が何をしようとしているか少しまとめてみたいと思います。

1、美術批評
数年前に直島で見た、ジェームズタレルの作品、家プロジェクト、安藤忠雄建築が最高で、その時の衝撃が今も残っている。陳腐な表現だが、世界が崩れる音がしたとはこの事だった。中学生の時読んだ「蝿の王」(作者忘れた)や太宰治、それからもっと後に読んだ田口ランディ「コンセント」「アンテナ」「モザイク」、舞城王太郎、映画ならウォンカーワイ「恋する惑星」、「アメリカンビューティ」、ダウンタウンやラーメンズコンドルズ、そういうものに出会えた喜びっていうのは、そうそう忘れるものではなくて、麻薬やギャンブルと一緒で、その快楽の大きさを引きずっている。だから、もう少しいろんなもんを見ていたら、前より大きなビッグウエーブがやって来るんではないだろうかという期待があるんですね。なおかつ、いろんな縁があって私の周りには美術に関わっている人間がたくさんいる。皆才能豊かで、これから何をしてくれるのか楽しみにしている。で、そこに自分自身が関わり、一番先に(アーティストの次に)その興奮を体験したいと考えている。長谷川裕子が、石上純也のあの銀の大きな風船が上る時、「この瞬間は誰にも譲れないですね」と言っていたのを、私はその瞬間をこそ、観客にプレゼントして、美術のとりこにさせるべきキュレーターとしてあるまじき行為だと考えたが、キュレーターならだめでも、批評家ならそこらへん何とかなるんじゃなかろうかとも思っている。というような複合的な理由で批評という行為が、私にはあっているんじゃないかという、期待と確信があるわけです。

2、ギャラリー
これは福田和也があるシンポジウムで言っていたが、批評家は自分のメディアを持っていなくてはだめだとのこと。それと同じ考えで、文章を書いて発表するメディア(ブログ、紙媒体)だけではなく、面白い作品そのものを発表する場所が必要じゃないかということです。展覧会を一緒に作りながら、作家と話しをするのはやっぱり面白いですしね。自分でギャラリー持たなくても、作家はどっかでやるのだからという意見ももちろんその通りだと思います。でも、あってもいいのだと思います。いわゆる角川的メディアミックスです。

3、商売
BARは、今使っているスペースにあるからやっているんですけれど、それはそれで面白いです。しかしそこでお金を稼いで暮らして行こうという気はないんですね。ではギャラリーか、というとそうでもなくて、作品を販売するというのも現実的な障壁がそびえていますから、わざわざそこに挑まなくても良いと思っています。もちろん才能ある作家の為に、面白い作品が出来る可能性の為に、作家にお金を(つまり時間を)提供できれば良いと思うのですが、これはほんとに難しいです。美術を商売にするというのは茨の道でしょう。レンタルギャラリーはそもそも批評的な観点が曖昧になるのでやりたくないし、それと同様売れる作品を扱うというのも無理。私は芸術は社会的に価値があり、必要だと思っています。そして、社会的に価値のあるものは、その対価としてお金が支払われるべきだとも。しかしそれが作品の売買でなくともいいはずです。例えば、パトロン、企業がその作家の価値を認めて作家に給料を払う。国が払う。誰かが払う。私が払う。たとえ私一人でも、その価値を認めて、お金を払えば、その芸術の社会的価値は成立します。どんなくだらない牛乳瓶のふたでも、それを拾ってポケットに入れる奴がいれば価値は発生する。そういう考えです。で、商売をしたいというのは、私がお金持って、好きな作家に、好きなように金払えばいいじゃんということです。美術的には何の解決にもなっていないのかも知れないですけど、それもひとつの案という事で。それとは別に、私と同じように、へんてこりんな価値観を持っている(お金も持っている)人間を探して、支援してもらうというのがありますね。王道ですね。こっちも同時にやるべきでしょう。一点突破が良いか、可能性を開いておく方が良いかは意見が分かれるところでしょうが、私は現時点では後者を選びます。

具体的に、何の商売をしようかというところですが。28を目前にしてまだ試行錯誤しております。面白い事をするのと金を稼ぐのどっちが先か、と問われたら、「どっちも!」とアホになった振りをして、今はお茶を濁しましょう。

4、結婚
結婚は現実との戦いです。結婚して子供を養う為には、安定した収入が必要だと考えます。じゃあ美術なんか捨てて就職すれば、という皆の声援が聞こえてくるようです。おそらくここまで読んでいる人はほとんどいないでしょうから書いていますけど、就職って面白いんですかね。あらゆるものから自由になることが私は一番大切で、限られた時間で、何をなすべきか考えていたら就職じゃない気がするんですが、どうなんでしょう。もちろん、どんな仕事でも、おもしろい部分はありますよ。でもルーティーンになったら終わりでしょう。いや、言いたい事はそうではないのだけど、いや、難しいです。えと、いかに自分の時間を他人に売らないか、そうしたいなと思います。その為には稼がなくてはいけないですよもちろん。稼ぐシステムを作らないといけない。私はまだお金を持った時に見える景色を知らないですからね。いやーこの文章は恥ずかしい。おそらく地位や名誉や富や美は、それを持ったものにしかわからないことがあると思うんです。それらに対する単純なあこがれでもあるし、好奇心でもある。
その時の心境なんかが想像出来ないですから、気になりますよね。想像できたらそれは終わりです。多分興味なくなるでしょう。そんなこんなで青臭い、人生経験の少ない私にはまだなんにもわかっちゃいないわけですが、結婚というのはひとつの象徴で、現実といかに向き合うか、それはそろそろ考えなくてはいけない問題だと思います。

5、面白い事
面白いもの見たい。したい。増やしたい。

追記:後半テンションが切れました。

櫻岡聡
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