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さわらぎのいに玉砕

2009年04月11日 17:34

いや、実際は玉砕以前で、コアなところには全然踏み込めませんでした。

自己紹介して、ギャラリーのスタンスをちょっと説明して、オプアートについてちょっとしゃべって、それくらいかな。村上隆のアトリエに行った帰り、最近村上隆の事を書かないのは何か意識しているのか、という質問をしたが、いや別にそういうわけではないんだけどね、というくらいの返答。本当は、村上が現在やっていることがもしつまらなくなっていると思うんであれば、それを書くのが、サワラギノイの今やるべき一番の仕事だと思うんだが、という事を僕は言いたかったのだが、なんかうまい事いきませんでした。

批評の役割なども、話したかったですね。浅田彰とサワラギノイの対談で、作家の固有名がアートにとって必要かどうかという議論があったのだが、それは批評の問題としてとても重要だと思うのです。最近、福住廉が「今日の限界芸術」(?だったかな)という本を出したのですが(僕はまだ読んでいません)。おそらくそこでは、芸術が生まれる場所の話しをしていると思う。浅田彰は芸術は、あくまでも芸術史に対して意識的である、アーティストによってしか生まれ得ないと思っているし、しかしさわらぎや福住は、芸術はすでにそこにあるもので、芸術家の存在は、それを見つけることにあるんではないかと思っている。(完全に僕の独断と偏見と感覚で書いているので、信じなくていいです。)
で、僕は判断を保留している。
もし、アーティストの役割が、既にそこにある芸術を見つけるという点にあるのであれば、批評を書いている、さわらぎや、福住や、そして僕もアーティストと言えることになる。
批評が一番の芸術であるか?

ここらへんが僕の中でぐちゃぐちゃしているので、さわらぎのいとここらへん話したかったですね。もうちょっと僕の立ち位置が整理されたら話すことも出来るかもしれません。

以上反省でした。

それにしても、山下裕二とさわらぎのいと榎忠(と若木くるみもね)が並んでソファに座っている姿は感慨深いものがありましたね。うただひかると話した花岡君の気持ちが良く分かります。
さわらぎのいは現在、夏ぐらいに出す本の校正?をしている模様。楽しみです。

櫻岡
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