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メモ 4,16

2009年04月16日 19:52

ヘルメス、1992、NO42

エラスムスは、聖なるものは人間の思考に重要であると指摘しています。 山口昌男

中沢新一の芸術人類学に通じるものがありますね。
芸術(=宗教)が動物と人間とを分け隔てるものだ、という話し。

非直線的な世界、開いた世界
例えば砂の堆積にある法則性があるとしても
顕微鏡でそれをのぞけば、砂の分子の不規則な、無秩序な運動があるだけ。
しかしその外部世界には物理法則、とりわけ重力があり、その運動を秩序立てている。 アショク・ジャイン

例えば人間の連続していると思われている生、記憶なども、その実体に根拠がなくても、外部の何かによって連続性を保っているように見えている。現状としては不連続なのに。逆に、外部との関連性によって、マクロな視点によって不連続に思えるものにもある構造が見えてくる。
芸術ならば、、、どうだろうか。

サワラギノイのいっていた悪い場所は、その根拠のなさ、あるいは立脚点を捏造したことへの無反省から、何をしても時代はただ繰り返すという、閉じられた円環のことを言っていたと思うのだが、それを打ち壊すきっかけにはならないだろうか。
不連続ではあるが、いやそのことによって繰り返している悪い場所を断ち切るために、その世界の外部、開かれた世界の外部、マクロな視点(例えば何??)を導入する。西欧美術との緊張感?アメリカ?それでは一緒か。

物理世界は、人間社会と無縁なものとしては、決して理解し得ない

(中断)
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